大地の会特別企画・夏の巡検

大地の会特別企画・夏の巡検 山古志村・ずい道と虫亀地すべり巡検報告   


山古志村の手掘り隧道を見る

棚田の広がる山間の村・山古志村。村のほとんどが急な斜面であるため、交通の便が悪く村人はどこに行くにも峠越えを強いられ、特に冬の雪の中の峠越えは極めて危険を伴うものでした。
   また、この地域は地すべりが多発し、稲作を中心とする生活も平野部と比較にならない程の苦労を伴うものでした。
   こんな自然条件の厳しいなか、少しでも自分たちの生活を良くしようと自らの手で立ち上がり時間をかけて隧道(トンネル)を掘った物語が残されていて、そして今、その手掘り隧道を地域の宝ものとして地域おこしの新たな物語が進行しています。今回の巡検は、こんな山古志村を地学的見地から巡検しました。
   平成12年8月27日。参加者は36名。今回の講師は、中山隧道の保全にかかわる建設コンサルタント潟Lタックの山岸俊男氏、山古志村役場総務課の青木勝氏及び新潟第四紀Gの飯川健勝氏・吉越正勝氏にお願いしました。

日本一(世界一?)の手掘り隧道・中山隧道

山古志村小松倉地区、ここから一番近い「町」が小出町で中山峠を越え、広神村を経由して12kmの道のりであり、峠越えの道は物資の搬送に困難を極め、冬期間は病人の搬送を断念したこともあったとのことである。
   小松倉の村人は自らの手でこの中山峠に「隧道」を掘ることを決意し、昭和8年に掘削を開始、16年(戦時中は中断)の歳月をかけてついに昭和24年に貫通させたものです。
   延長は922m(現在は877m)小松倉の人たちが交代で、ツルハシとシャベルで掘り、土砂は地車といわれる丸太の車輪に箱を乗せたもので運び出したとのこと。隧道内部は今でもツルハシの跡が当時のまま残り、先人たちの苦労と偉大なエネルギ-が伝わってきます。

中山隧道内部
写真-1 中山隧道内部

隧道の地質は第三紀白岩層及び第四紀魚沼層の砂岩・泥岩の互層からなり、自立性もよく硬さもツルハシで4〜5回打って掘り起こせるものであったことが、隧道完成に幸いしたようです。しかし、狭い坑内での作業は苦労の連続で、天盤が大きく崩れている大出水箇所などに作業の困難性を伺い知ることができます。
   この隧道の価値(すごいところ)をつぎの点と言われています。
   ・地域の人-が自ら考え、自ら行動した。
   ・貫通するまでに16年間も掘り続けた。
   ・子-孫-の交通に供するために掘った。
   ・長さが日本一の手掘り隧道である。
   ・これを利用し、維持管理し続けた。
   山岸氏は、山間地での社会生活基盤である道路を、住民の総意ではなく反対者もいる中で、自分たちの為だけでなく子孫やみんなのために行う、住民自身による公共事業であり、現在の行政依存の公共事業を考え直すまさに原点となるものと解説されました。

中山隧道の地質断面
図-1 中山隧道の地質断面

中山隧道掘削のきっかけとなった水路隧道

中山隧道から少し下って小松倉集落に近いところに高さ1.2m程の水路隧道がある。長さ約250m、山の向こう側の水源からこちら側に水を引き、ため池をつくり水田を耕作する。
   あぐらをかきながら掘り、足の間から土砂を掻き出しそれを運び出す。とてつもない強固な意思と時間をかけて成し遂げられた水路トンネル。暑い巡検の日は、このトンネルからひんやりとした風が吹き抜けていた。
   山の向こう側の水はこちら側に引き込まれ、広がる水田に稲穂が揺れていた。
   この様な米が不味いはずはない。先人たちは生活するために米を作り、米を作るために生活しているのかと思うほどに米作りの苦労が伝わってくる。
   この水路隧道は、中山隧道が掘れると村人に自信をつけるきっかけともなったそうである。

雪崩を避ける雪中隧道

小松倉地区から前沢川に沿って一本の道がある。沢に沿う斜面は急で冬期間雪崩が起こり通行不能となることが容易に想像がつく。
   今は上部に国道が通り車はそこを走るが、徒歩での移動はこの道を使うとのことである。
   この道沿いに長さ623mに及ぶ雪中隧道がある。普通トンネルはまっすぐに掘るが、このトンネルは斜面の道沿いにくねくねと曲がっている。途中には何ヶ所かずり(掘削土砂)出し用に横穴があり明かりが射し込んでいた。

雪中隧道内部
写真-2 雪中隧道内部コウモリが歓迎?

この隧道は崩落防止のためにコルゲ-トやコンクリ-トで巻き立てられている。今でも使用されているので照明装置が付けられているが、巡検当日は照明が消されていて、懐中電灯を頼りにおそるおそる歩くところに、大きなコウモリの群が飛び交っていて怖い思いを味わった。
   この地区はどこに移動するにも峠越えや急な山道を通ることを余儀なくされ、その生活を少しでも良くしようと基盤整備に取り組んでいる。最近の経済性重視の社会資本整備・公共事業のあり方を考えさせられる。

大地が動く虫亀地すべり

山古志村では平坦なところがほとんどない。人-が生活する場は、かつて大規模な地すべり等で変動した比較的傾斜の緩い部分である。
   昭和55年4月9日、虫亀地区において融雪水の浸透による間隙水圧の上昇が原因で大規模な地すべりが発生した。幅150〜200m、長さ約1.5km面積約25万平方メートルに被害が及んだ。県道が200mにわたり不通となったが、幸い人家及び住民への被害はなかったとのこと。
   対策工事として地すべりの原因となった地下水を抜く集水井戸を掘ってのボ-リングや水の浸透を防止する水路工、すべりを直接止める杭打ち工等が施工され、今は安全を保っている。 近年減反政策などで棚田の耕作放棄地が数多く見られ、そうした放棄地が地すべりを多く発生させているとのことである。農林省のみでなく、国土保全の意味からも棚田を守る政策が必要であると山岸氏は力説された。

別天地「隧道文化村」構想

山古志村では、中山隧道や他の隧道の価値を知り、村おこし・地域づくりに結びつけようとの動きが進行しています。
   山古志村役場の青木さんによれば、平成11年度「新潟県一村一価値づくり事業」でワ-クショップを行い、地域の宝物としての隧道を生かし、「別天地・隧道文化村」を目指して、中山隧道シンポジウムの開催(H12.1.30)、隧道文化基金を設立し中山隧道の記録映画の制作、隧道記念館の整備、隧道祭りや交流イベントの開催などが予定されているとのことです。
   人口約2,300人の村は元気を取り戻しています。

隧道文化村構想図
図-2 隧道文化村構想

暑い夏の半日の巡検でしたが、山古志の厳しい自然条件の中で少しでも生活を良くしようと取り組んだ先人たちの熱い思いとその思いを受け継ぎよりよい村づくりを行う情熱に触れ衝撃を受けた一日でした。

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