大地の会10周年記念 春の野外観察会
米山海岸地層観察会報告
柏崎平野と高田平野の間にある標高 992.6mの米山は海岸から 5kmしか離れていません。米山を構成する地層が海岸地域までのびてきており、その海岸の複雑に曲がった地層や見事な縞模様の地層にふれ、岩石を観察して、米山がどのようにしてできたかを考えました。
平成14年4月7日。好天に恵まれた絶好の巡検日和の中、61名の参加。今回は米山団体研究グループ・新潟産業大学附属高校の徳間正一先生から指導・解説をしていただきました。
聖ヶ鼻の灯台のある岬の旧国道沿いの南側路頭では米山をつくる地層(米山層)の下位に相当する砂岩・泥岩層からなる聖ヶ鼻層と呼ばれている地層を観察しました。
聖ヶ鼻層・化石の採取 |
この地層は550万年前から450万年前に堆積したものと考えられており、マキヤマチタニイの化石がたくさんみつかり、以前はクジラの肋骨が見つかっているそうです。地層の粒子などから比較的浅い海で堆積したものと考えていると解説されました。
北側露頭では、聖ヶ鼻層を不整合で重なっている米山層が観察できます。米山層は火砕岩層や溶岩層を主体としているとのことで、ここでは黒っぽい凝灰角礫岩が見られます。
米山層は450万年前から350万年前と考えられています。
米山町から笠島までの海岸には旧信越線の軌道跡が歩道として整備されています。いりくんだ海岸線を走る鉄道はトンネルが主体で、このトンネルは明治中頃に北越鉄道としてつくられたもので、トンネルの天盤は板材やモルタルによって補修がなされていますが、抗口や側壁は煉瓦で巻立てられ歴史を感じさせます。
田塚鼻の層内しゅう曲 |
米山層に見られる層内褶曲で、下の泥岩層と上の凝灰角レキ岩層にはさまれた中間の層だけが激しく褶曲しています。下の泥岩が堆積し、その後に堆積した地層が海底地すべりか、なんらかの理由で移動した後、上の角礫岩が堆積してできたと解説されました。
柏崎フィッシャーマンズケープのある岬からは米山と米山大橋、そして美しい海岸の風景が望めます。
米山の研究は明治時代に富士山の様な火山と考えられていました。昭和の初期には火山説が否定され、現代、徳間先生の所属する米山団体研究グループで研究が進められ、成り立ちを次のように説明されています。「第三紀鮮新世、いったん陸化した大地は沈降し、浅い海底での火山活動が行われた。沈降と海底火山活動が続き、厚い火砕岩や溶岩流が堆積した。第四紀になると米山地域は次第に隆起して陸になり、侵食作用を受けて現在の米山ができた。」
恋人岬からの米山 |
うららかな春の日和、海岸散策を行いながらの観察会でした。徳間先生にはカラー印刷の分かりやすいたくさんの資料を用意していただくとともに、丁寧に教えていただきました。柏崎にはまだ、ナウマン象の発掘現場や御野立公園(番神砂丘)などまだまだ見どころがたくさんあるようです。次の機会を楽しみとしています。ありがとうございました。