会報「おいたち」37号   [1] [2] [3] [4]    総目次

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シリーズ新潟の地震(16)
新潟の地震と活断層(3)

長岡大手高校 飯川 健勝

5 大地の動きを探る

三島、刈羽、北・中魚沼、東・中頚城の各郡を含む信濃川西方の山なみ一帯を東頸城丘陵と呼んでいます。
   『大地の動き』の見方からとらえると、ここは、治山治水に難題を突きつける全国でも有数の地滑り地帯であり、 活褶曲・活断層の分布地域としても知られているところです。

地滑り・崩落は、砂質・粘土質等のように固結度・帯水性などその性質と深くかかわりを持ちますが、基本的なことは、その「大地」が継続的な隆起・変形をともなう活褶曲の分布地域におかれていることです。

かつて「大地の会」では、「渋海川の源流を探る」巡見会で渋海川と保倉川の分水嶺をなす深坂(みさか)峠(990m)にたち、 遠望したことがありました。中頸城丘陵はいわば、回り舞台のようにゆったりと北北東方向に傾斜し、その末端は来迎寺・関原・分水等で見られるように沖積平野に没しています。そのステージの中で、岩田背斜(枡形山)・不動沢向斜(渋海川)・片貝−真人背斜(越路原)等同期生のキャラクターが飛びはね、その隆起・沈降運動が地層の活褶曲・活断層そして地滑りを引き起こしていることになります。その分布を「シリーズ(14)」の図に示したのが県内版でした。

あらためてこの発想を押し広げてみることにします。図1は、本州中央部の活断層分布図(活断層研究会、1980)です。(1)は、ケバのついている方が落ちている縦ずれ活断層。(2)・(3)は、それぞれ右・左横ずれ活断層です。飛騨・高山地域では右横ずれ活断層がめだちますが、東北南部・関東・東海・北陸の各地域ではそのほとんどが縦ずれ活断層です。

そして重要なことは、これらの活断層が山地の内部には分布せず、山麓や盆地縁辺部に集中していて、山地の稜線の方向と並行していることです。なお、これら地表に顔を出す活断層が、地震と直結したとすれば、M7以上の地震に相当するものですが、第四紀(170万年前以降)という長い時代に形成されたもので、日本人のルーツにかかわる縄文時代(6000年前)以降と比較しても年数の開きはあまりにもかけ離れすぎています。いわば170万年間に発生した事件(地震)を一枚の絵に重ね打ちしたものに相当します。
   そして、空白地域では裏返しに重要な意味を持つことになります。わかりやすい北東南部地域を例にとって見ますと、奥羽山脈・朝日山地・飯豊(いいで)山地・越後山脈等ではその縁辺部に活断層が発生していて、その内部には発生していません。これは、活断層で仕切られた50〜60km単位の地塊が寄木のように隣り合い、ひしめきあっていることになります。

こうしてみると山地は間違いなく隆起し変動していることが窺えます。あらためて、現在の変動を測地学的に計測・解析してみることにします。

活断層分布図

6 大地の水平変動

全国には、日本列島の地図の作成と地震と予知を目的として一・二・三等三角点が設置されています。図2は、1890年代から1950年代までのおよそ60数年間の水平変動を示したものです。図は、国師岳(こくしだけ)を仮不動点にしたときの一等三角点の変位の方向と大きさを表しています。
   その傾向から4つの地域に分割することができます。すなわち北西方向へ広がる東北地方南部、左回転で収縮する佐渡沖、同じく左回転する関東・東海地域です。
   二枚の地図は一見無関係なように見えますが思いもかけず、密接な関係があるのです。 (つづく)

水平変動
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